【お客様インタビュー】自分の力で切り開いた人生から、子どもたちに伝えたいこと

終活の一環として取り組みたいエンディングノート。「まず何から書けば良いかわからない……」と悩んでいる人におすすめなのが、自分史整理です。ご自身の人生をあらためて振り返ってみれば、これから先の望みや家族に伝えておきたいことも明らかになるかもしれません。

今回は、「エンディングノートの書き方セミナー」への参加をきっかけにご来店いただけるようになった、K様からお話を伺いました。

青森県出身のK様。金の卵として中学卒業後に就職しましたが、仕事をしながら高校、短大を進学し、ご自分の夢を叶えて来ました。

子育てもひと段落し、「終活」に意識を向けるようになった今、エンディングノートを書きたいと思うようになったのだそう。ご家族に「これだけは伝えたい」と、過去の人生を振り返った「自分史」作りにも取り組んでいらっしゃいます。

目次

働きながら、定時制高校を5年かけて卒業。これが人生の転機でした

―K様は、「自分史」を書いていらっしゃるとお聞きしました。

そうなんです。自分はどこで生まれたか?から始まって、どういう生き方をしてきたかという情報を残したいと思ったんです。

私が親元を離れたのは15歳のときで、工場の寮に入りました。そのときの生活がどんな感じで、仕事がどんな風で、自分自身がどう感じていたのかを残したかったんですね。

―15歳で就職されたのですね。どのような生活だったのでしょうか?

そのときの仕事は工場勤務で、二交代制でした。朝から昼までと、昼から夜まで。

朝早いときには4時半に起きて、5時から仕事。朝ご飯の休憩の45分があるだけで、お昼までずっと働きづめでしたね。1週間そのリズムが続いて、今度は反対になるんです。朝ゆっくりしていて、1時半から夜の10時まで働くと。1週間ごとの交代で、シフトが組まれていました。

そのとき思ったのが「これは無理だ……」と。

正直、眠たくて眠たくてワーッて。しょうがなく起きて、眠くても顔を洗ってタイムカードを押さなきゃいけないんですね。

寮生活では、具合が悪くなってしまう子がいたり、健康を害して仕事ができなくなってしまう子がいたり…。たくさん挫折を経験しました。

このような仕事をずっとやりたいか?って思ったら、「それは嫌だな」って思う気持ちがありました。

私はもともと、勉強が大嫌いだったんです。特に算数が駄目でしたね。なので、勉強はしない、もう学校には行かない、と思っていました。

でも、あるとき職場で計算のテストがあったんです。

新人を集めて、「3+8+6+16+……」とかってずっとやらされたんですよ。すぐについていけなくなってしまって、当時のメンバーの中で一番早く脱落してしまいました。

そうしたらその後、当てにされない仕事をする部署に配属になったんです。

傘の生地を織る仕事だったんですけど、私が回されたのはそのための糸を巻き付ける部署でした。

人がやった仕事の片付けや、サポートがメインで、「あぁ、私は勉強しなかったから、こういう仕事しか与えてもらえないんだ」って、そのときそう思ったんですよね。

「早朝5時から、したくもないような仕事させられている」なんて不満も抱えながらいたんです。

―とても大変だったんですね。

唯一好きだったのが、繕いものとか縫いものとか。そういうの習うのは大好きだったんです。子どもと遊ぶのも、ものすごく好きで。だけどそれは、「もうできないことだ」と自分の中で思っていました。

でもね、あるとき、工場で縫製の仕事をしながら学校に通えるという仕組みがあることを知りました。その学校では私の苦手な英語や数学の授業は少ししかないんです。その代わりに家政科で縫製の仕事を学べます。

その当時、すごく「良いな」と思ったんですね。

とにかく諦めたくなくて、工場で仕事をしながら学校を卒業したんです。定時制高校で4年間のところを、私は5年かけて卒業しました。

これが人生の転機だったと思います。

―高校を卒業してからは、どうされていたんですか?

高校に通っていたとき、学校の先生が先輩に紹介してくれたんです。

「あなた、ここの高校終わったら、今度は仕事しながら通える短大もあるのよ」って教えてもらって、岐阜に行きました。また働きながら、3年間、保育専門の短大に通ってそこを卒業したんです。

―すごいですね!

私「こりない症候群」っていうか、1回や2回の失敗じゃ諦められないんです。そして、短大を卒業するころに、東京の江東区で保育士募集があり、採用されました。

15歳からいろいろなことがあったんですけど、区立の保育園で保育士になれて、良かったなぁと思いましたね。

私の家はもともと父の体が弱かったんです。ずっと苦労しながら生活していたんですけど、だからこそ「私は今、ここにいて良かったな」って思う気持ちが強いんですよね。

寮生活でも「自分のことを考えていても良い」というのが、すごくありがたいことだと感じていました。別の場所に移動してライフステージが変わるたびに、「今ここに来られて良かった」と思っていたんですね。

寮生活は結局8年続いて、その後東京に出て来たんですが、「寮生活で鍛えられたから、いくらでもいろんなことがあってもくじけずがんばっていこう!」と思っていましたね。

学校でも、周りはみんな1年年下で、「きっとすぐに辞めちゃうよ」って言われることも多かったんです。でもね、こっちは5年間、早朝5時からの仕事でがんばってやってきているんです。なんて言うかな?自信みたいなものはありましたね。

自分らしく生きている子どもたち。「それで良いんだな」と思います

―保育士の仕事をするために東京に出ていらしたんですね。その後はどういった人生を歩まれてきたのでしょうか?

江東区の保育園で正規職員として働き始めて、区役所の中の演劇グループに所属していました。私はもともと、人の前で話したり演劇をしたりするのが好きだったんです。「喋る」ってことが、好きだったんですね。夫とも、その演劇を通じて夫と知り合いました。

その後、夫が50歳を前に体調を崩しました。仕事にも行けなくなって。このころは「夫には頼れないから何とか自分でがんばらなきゃ」という気持ちが強かったですね。仕事をしながらも、夫の手術があったり精神的なケアもあって、子どもたちのことも含めてあの5年間は大変でした。

地域の相談窓口があって、そこに相談したことがきっかけで私の考え方も変わったんです。自分のことも大事にしないといけないなと。そういう窓口があって本当に良かったと思いました。

また、夫も、私が「こうしてこうしたいんだけど」っていうと、「良いじゃない」って絶対反対しなかったから、それはとても助かりました。自分で考えて動くことに対して反対されなかったから、いろいろなことに挑戦できたんだなと思っています。本当にそこは感謝していますね。

―K様のご家族は?

子どもは長女、次女、そして長男の3人です。

―子育ても必死でがんばってこられたのですね。

そうなんです。長女は幼い時期からバレエをやっていました。とてもリズム感の良い子どもで。

大きくなって大学に進学したんですけど、辞めてしまいました。別の大学に変わったんですけれど、その大学も「私大学卒業しても、やる仕事に活かせられないし活かす気もないし。だからもう辞めて、自分でやりたいことをやりたい」と言われてしまって。

高卒になっちゃったんですけど、「ミュージカルをやる人になりたい!」と言ってオーディションを受けたり、一時期は自分のお金でニューヨークの教室に通ったりしていたんです。今は弁護士のパラリーガルとしてお仕事をしています。

親としては「40過ぎてあなたどうなの?」っていう気持ちもあるんですが、「私は良いの、私で」っていう感じを見ていると、自分のやりたいことをやっているんだから、それで良いんだなと思いますね。

次女はそんな長女の様子を見ていて、外語大を卒業したあとにキャリアカウンセラーの仕事をしています。

旦那さんと子どもと一緒に暮らしていて、2人目の子どもも生まれるんです。

私が自分史を書いていることを知っていて、途中で読んでもらったことがあるんです。

「お母さん、これここで写真入れるとか、こういう総まとめみたいなのやったらどう?」とかアドバイスもしてくれて。「いくらでも手伝うわよ」と言ってくれていますね。

―すごくドラマチックですね!長男さんは?

末っ子の長男は、すごくのびのびした子で。幼いころからサッカーや卓球をがんばっていました。中学や高校も卓球で決めたんです。大学もそのつながりで進学しました。なので、そのままスポーツに関係のある仕事に就くのかなと、思っていたのですが本人には本人の考えがあったようです。

最終的には「コーヒーの研究がしたい」と、大学も辞めようと思ったらしいです。しかし、その後お世話になるコーヒー店のマスターに出会い、「大学は卒業はしておいた方が良い」と説得され、9月に卒業しました。

その後10年ぐらいマスターのお店で働いたんですけど、マスターが体を壊したのをきっかけに「こういう働き方をずっと続けるのは難しい」と思ったようです。

でもね、幼いころからスポーツばかりやっていたから社会の仕組みが全然わかっていなくて、転職活動は大変でした。どんどん落ちていくんですよ。面接で落ちて、気分的にもとても落ち込んでいました。

結局、やはり飲食店をやりたいということで何とか落ち着いて。正社員になれるというので、そろそろ結婚を……っていう話も出てきました。

親との顔合わせも進めていたんですけれど、相手のご両親に挨拶に行く2日前に、正社員になる話が延期されてしまって。もうなんて挨拶すれば良いのかと悩んでいました。

でもね、帰ってきた息子に聞いたら、お相手の親御さんに「働くのに正社員だろうがパートそれはもう関係ない、2人がちゃんと力を合わせてやっていけるならそれで良いんだ」って言ってもらえたと聞いて。もう本当に嬉しかったですね。

ようやく子育てもひと段落……といった感じです。

過去の体験の中で自分がどういうふうに感じてきたか、子どもたちにはそのままを知ってほしい

―子育てが落ち着かれて、今はどうされているんですか?

今は病気との戦いですね。少し体調を崩してしまい、治療をしつつ自分のやりたいことをやっている感じです。

ずっと保育士として仕事をしてきて、定年退職後はスキルアップしたいお母さんたちをサポートする仕事をしていました。その後は心理の先生や保健士と一緒にやる「親子で一緒に遊ぶ体験教室」のお手伝いに誘われて、やっています。

私ずっと、自分が退職したら、どういう仕事をしたいか?っていうのをすごく考えていたんです。

子育てアドバイザーの資格も取りました。若いお母さんが育児に悩んでいたら、ちょっとでも力になれるようなことをしたいですね。

図書館の読み聞かせボランティアや、保健所の仕事での子どもとの関わりもすごく楽しいです。元気に駆け回っていた子や落ち着かない子が、パネルシアターや手遊びをすると、「あれ?」って座って見てくれるんです。そうするとすごく嬉しくなりますね。

仕事で子どもたちから元気をもらっています。

―自分史を書き始めたきっかけや、特に伝えたいことについて教えていただけますか?

私が自分史を書き始めたのは、長男の育児休業中でした。仕事から離れて家にずっといる中で、「せっかくだから書き始めよう」と思ったのがきっかけです。

まとめた自分史を一番読んでもらいたいのは、やはり家族ですね。

過去の体験の中で自分がどういうふうに感じてどうだったか、そのままを知ってほしいと思います。

子どもたちには特に、「こういうことをしてきたんだな、こういうときはこういうことだったんだな」っていうことを、伝えたいなっていうのが一番です。

「終活」に1歩踏み出せない方へのメッセージ

自分史を通じて、終活と向き合っているK様。「窓口de終活」主催のセミナーへの参加をきっかけに、店舗にご来店いただけるようになりました。しかし中には、「まだ終活は早いでのは…」「気になっているけれど何から始めれば良いのかわからない」と悩んでいる人も多いのではないでしょうか。そんな「終活」に対して1歩踏み出せない方たちに向けて、K様からアドバイスをもらいました。

―まだ終活をされていない方へ、メッセージをいただけますか?

終活をスタートするときに、「何から始めれば良いか?」「どうやったら良いか?」と悩む人も多いかと思います。

「窓口de終活」に来たら糸口を教えてもらえるので。楽しく実践しながら学べたり、いろいろな体験を通じて楽しかったりもするので、ぜひ一度来ていただけたらと思います。

私も、介護のことも含めていろいろなことを学びました。「わかったからもう行かないわ」って思う人も多いかもしれないけれど、私はまだまだほかのセミナーにも参加したいと思っています。

何か困ったことがあれば、相談窓口で相談することで人生は好転するかもしれません。

―K様、本日は本当にありがとうございました。

自分自身の手で人生を切り開いてきたK様。今回お聞きした自分史からは、自分自身で人生を変えようとするバイタリティと、家族やお子様たちへの深い思いがうかがえました。完成したエンディングノートや自分史からは、その思いが強く伝わることでしょう。

終活をスタートする上で、「自分史」と向き合うことは一つの大きなきっかけになります。

過去を振り返りつつ、今なお自分の好きな仕事をして、輝き続けているK様。そんなK様のお話も胸に刻みつつ、自分自身と向き合ってみてはいかがでしょうか。

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