今回のお客様インタビューでは、8月のオープン時からたくさんのセミナーにお越しくださっている青木さん(仮名)にお話を伺いました。
ご主人が亡くなられてから少しずつ、終活の準備をされていたという青木さん。「お墓や、お寺との関係をそのまま次の世代に引き継いでも良いか?」など、ご自身でも積極的に情報を集めながら終活に取り組んでいらっしゃいます。
問題解決の方法を聞いて、胸のつかえがひとつ取れました
こうした終活専門の相談窓口ができていかがでしょう?お役に立てていますか?
私はセミナーを受けさせていただいて、いろいろ整理がついてきました。ありがたいなと思っています。
8月のオープンのころからたくさんのセミナーを受講させていただきましたが、それぞれのセミナーで今時の終活について、問題解決の方法を教えていただきました。
特に我が家の査定、相続の方法、税金対策について、具体的数値をもって提案してくださり、150パーセントの満足度でした。胸のつかえがひとつ取れました。
オープン時からお越しいただいてますね。ありがとうございます
私にとってはオープンのタイミングも良くて。これが2年くらい前だったら、セミナーを聞きに来る時間もなかったでしょう。今、やっと少し時間ができてきたので、今後のことを考えて、身辺整理をしたいと思っていたところでした。
そこに、たまたま新聞に折込のチラシが入っていて、「あー、聞きたいな」と思うセミナーがいっぱいあって。「これと、これと、これ!」というように、聞きたいことを全部申し込みました。とてもいいセミナーを準備していらっしゃるなと思って。
これまで、ご自身で終活として取り組んでいたことはありますか?
主人が6年前に亡くなっているものですから、そのころから、ぼちぼちと進めています。
先日、親戚が他界したこともあって、ますます私自身の整理のことも考えなくてはいけないと思うようになりました。息子が2人いますので、今後、もめないように何とか形をつけていきたいです。
私たちの年代はちょうど親を送って、これから連れ合いや自分の終活に意識が向いてくる時期だと思います。これまでは親のことをやってきましたが、次はこちらの番ですから。
勉強してまとめておかないと、子供に負担がかかってしまう
例えばお墓の準備をされているとか、具体的にはどのような終活をされているか教えていただけますか?
お墓はちゃんとあります。ただ、これを継承するべきかどうか?という心配はあるわけです。息子たちはいますが、もしかしたら継ぎたくないと思っているんじゃないか?とか。
都内でお寺の檀家になっていると、やはり経済的な負担はあります。春と秋のお彼岸や、お盆、暮れといろいろありますし、その他、檀家に入っていると寄付や年忌法要もしなければなりません。
私の代までは守ってあげられるかもしれないけれど、次の代にまでこれを引き渡すべきかどうかとなると、迷います。
というのも、親戚がこのところ立て続けに亡くなっているので、年忌法要も1回ではなく続くのです。
親族には年代が同じくらいの人がそろっているので、出産、結婚、そしてお葬式と、冠婚葬祭のタイミングが大体似てきます。1回のお布施はそれほどではないとしても、こうしたことが一時に重なっていろいろやってくると、結構な負担になります。
さらに実家のお墓も、皆嫁に出てしまっているので、近い将来、継ぐ人がいなくなるでしょう。その時に、我が家だけでなく私の実家の墓じまいまで子供たちができるかどうか?
墓じまいをするにしても、私が勉強してまとめておかないと、子供に負担がかかってしまいます。
お子さんの将来の負担を考えると、親としては心配になりますよね
それに最近は昔のような信心はないでしょう?
信心もないのに負担を強いられるというのもどうなのでしょう?時代も変わってきていますし。
そんなことを考えていると、私だったらじめじめしたお墓の下にほかの人と一緒に入るより、きれいな海に散骨してもらう方が良いなとか。そうしたら海流に乗って世界旅行ができるかな?とか。そんなイメージも膨らみます。
だからこそ、きちんと整理して、息子たちの意見も聞いて、今後どうするかをまとめておきたいのです。
息子たちが幼かった頃のことを思い出して、「おじいちゃんやおばあちゃんにもかわいがってもらったから、引き継いでいくよ」とか「愛着があるから無くしたくない」と思ってくれるなら引き継いでくれるでしょうし。
今はいろんな考え方の人がいらっしゃるから。お墓が欲しい人、欲しくない人、どちらもいらっしゃるでしょう?そういう時代なんですよね。「お墓なんか無くたって良いわ」って方もいらっしゃるし。
ご自宅でご遺骨を保管されている方もいらっしゃるようですね
夫婦のどちらかが亡くなったら、やはり寂しくなるじゃないですか?
だから、連れ合いの遺骨は私がいなくなるまでは家に置いておいて、「私がいなくなったらどうにかして」とか。そんな感覚もあると思うんです。
昔だったら「遺骨が家の中にあったら気持ちが悪い」というイメージがあったかもしれません。
でも、今は自分の親や配偶者だったら気持ち悪いということはなくて、むしろ「一緒にいてくれる」って思うのではないでしょうか?家族が皆、まだ一緒にいて、なんとなく安心できるような感じです。
火葬してきれいにお骨になっているから、汚いとか気持ち悪いといった感情はないですよね。一人だけお墓に入れちゃうのもかわいそうですし、寂しい感じもします。
もちろん、人によって違いはあるでしょうけれど、感じ方が昔とは変わってきたと思います。お墓が買えるとか買えないというお話だけでなく、そばに置いておきたいという気持ちがあるのではないでしょうか。
大切な人が亡くなって時間が経てば、少し考えられるようになると思います。私も夫が亡くなって6年、7年と時間が経って、少し落ち着いて考えられるようになりました。これが亡くなってから1年とか2年とかだと、まだ放心状態で動けないと思います。
今は「こうしなくてはいけない」というのがだんだん無くなってきましたから。昔だったら当然こういう風にするべきだと皆動いてきたのが、今はいろいろと選べるようになっていますからね。
考え方があまりにもたくさんありすぎて大変
昔は初七日までにこれをしなくてはいけない、四十九日までにこれをしなければいけないということもありましたが、今は生きている人の気持ちが大切にされていますよね
許される環境になってきたというか。親戚に一人か二人、「そういうのではだめだ」という人がいれば、また違うのかもしれませんね。
私は、親戚同士で皆が入れるお墓でも良いかなと思います。嫁に行っても後を継ぐ人がいなければ戻って、自分の母のもとに一緒に入るというのも良いのではないでしょうか?
里帰りみたいですね
お婿さんも一緒に入れば良いんじゃない?
連れ合いが家を継ぐ人でなければ、一緒に連れてきちゃうとか。そういう一族の合同墓も良いんじゃないかしら。でも、最終的に誰が守るの?ってなるのかしら?
先日見学させていただいた納骨堂のように、皆がいなくなって月々の管理料を支払わなくなったら自然に合同のお墓に移してもらえるというのも、「こんなシステムになってるんだ」と、良いと思いました。
お墓の種類もサービスも、次々新しいものが登場していますね。お葬式も家族葬が登場して印象も大きく変わりました
そうですね。一日葬もありますよね。
これまでは全部、今まで通りの形でやってきましたが、こうして見るとお葬式にもいろんな形があるんだなって思います。考え方があまりにもたくさんありすぎて大変ですね。
お葬式の規模も小さくなっています
ちょうど規模が小さくなっていった時期にコロナもあったから。余計に拍車がかかったんじゃないでしょうか?
昔はお葬式というと一族郎党が集まって、皆さんお香典を持ち寄ったじゃないですか?それで成り立っていた部分もあったでしょう。
お葬式でも何でも、皆が持ち寄るから盛大にできたのが、そんなに参列者を呼ばずに盛大にやったら、全部持ち出しになって、喪家の負担ばかり増えてしまいます。
確かに、参列者が減ると喪家の実質的な負担は大きくなりますね
家族や親類縁者がいつも仲良くて、冠婚葬祭といったらパッと集まって動くようなら立派なお葬式も成り立つでしょう。でも今は家族そのものも小さくなっているので。
「あそこはもう、呼ばなくても良いよ」とか。だんだん小さくなって、最後は「お葬式はやらなくても良いよ」ってなるのかもしれません。
お葬式が無くなってしまうのは寂しい気がします
終活もいろいろなことが次々と変わっていますから。
相続登記が義務化されるし、遺言書も法務局で保管できるようになったり、税制も変わってくるでしょう。
親戚にも「あなた、代表して聞いてきて」と言われていますし。とにかく次の代へ引き継ぐための整理ということで、私は勉強させていただいています。
セミナーでは講師の方にもいろいろ質問して、だいぶ整理ができそうな、良い方向に進んでいるのではないかなと思います。エンディングノートも元気なうちに書いておきたいですね。
ありがとうございました